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東日本大震災で被害を受けた当時の「ぱんぷきん」の介護事業所=2011年、宮城県石巻市、ぱんぷきん提供
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 地域の介護を途切れさせまいと、介護事業所が再開し始めている能登半島地震の被災地。甚大な被害から、「介護のインフラ」をどう立て直すのか。ヒントになる取り組みが、13年前に東日本大震災を経験した介護事業所にあります。

 職員不足、利用者の減少、収入減、将来への不安……。「能登半島の介護事業所が直面している課題は、東日本大震災で経験したことに重なります」。こう語るのは、宮城県石巻市、女川町、東松島市で介護事業所を運営する「ぱんぷきん」社長の渡辺智仁さん(47)だ。

 能登半島地震で被災した事業所を支援するため、自身が副理事長を務める「全国介護事業者協議会」と「日本在宅介護協会」による介護人材の派遣の調整を担い現地も訪問。石川県能登町の高齢者施設や金沢市の2次避難所に、同社の入浴車両や浴槽を届けた。

 2011年3月の東日本大震災では、支援を受ける側だった。当時11カ所あった事業所のうち6カ所が全半壊・浸水の被害を受けた。利用者5人、職員16人が津波にのまれるなどして亡くなった。

 助かった職員約180人の多くが被災し、自宅が流されたり、体調を崩したりして退職する人もいた。利用者も自宅から避難先に移り、事業所を休止した。職員に早く安心して働いてもらいたいと、同年4月に一部を再開したが、利用者が避難先から戻って来るのかもわからないなかで、「ヒト、モノ、カネをどうすればいいのか、追い詰められた」。

 特に懸念したのは、介護職員…

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